自分の普通は普通ではない
昔は「普通〇〇するよね」「普通はやらない」「普通は、、、」。
自分にとっての普通はみんなにとっても普通だと思っていました。
「普通」とは
自分では気を使っているつもりで、その人の考えを想像して対処方法を考えたり、自分が説明もせずにこうやるのが当たり前と思っていることをやってもらえないと、イライラしたり。
いくら頑張っても自分の考えの枠から超えたものは想像できないし、私がやって当たり前と思うことはその人にとっては想像できないことかもしれない。
自分の普通はみんなの普通ではない、そんな簡単なことが何となく理解できたのは、40歳を過ぎてからでした。
それからは、できるだけ「普通は、、、」は使わないように気をつけています。
それでも思わず使ってしまったり、自分とは違う考えに対してうまく受け止められない時があります。
自分の普通ではないことに感じる嫌悪感
日本語に「出る杭は打たれる」という言葉があります。
1.才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。
2.さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。
(デジタル大辞泉より)
何となく子供の頃から横一線で、あまり人とは違ったことをしないように、考えないようにと教育されてきた気がします。
日本の社会全体がそんな感じ。
なので、自分の常識、価値観の範囲にいない人、コトに対して、「なんか嫌だなあ」と強く感じてしまう。
サラリーマンの時ももちろんそういった人、コトはあったわけですが、範囲が狭かったように思います。
最近行きだした講習は人数は少ないのですが、今までの経歴が多種多様で、自分とは違った経験をしてきた方ばかり。
より違和感を感じてしまうことが多い。
自分はいろいろなことを受け止められるようになったと思っていたのですが、、、まだまだ狭い人間だなあと改めて痛感したのでした。
多様性を受け入れられる人になりたい
別に共感をする必要はなく、「ああ、そういう考え方もあるんだな」「そういう風にするんだな」と受け止めて流せば良いだけです。
ここにこういった記事を書いていること自体、今時点でできていないことは明らかですが(苦笑)、もう少し多様性を受け入れられる人になりたいと心から思います。
点訳を習いに行っている講習ですが、それ以外の面でも自分のためになっているのかなあと思い、ちょっと嬉しかったりします。
参加することにして良かったです。